今回は、みかさんが手術を通して人との巡り合わせについて感じたことを紹介します。
同じ悩みを持たない人からの「大丈夫」はすごく怖い
私が乳がんになってから母と、乳がん検診を勧めてくれたお友達はすごく支えてくれていました。
乳がんになった時からブログを始めたので、乳がんの人とのつながりができて、私よりもすごく辛い思いをしている人もたくさんいることを知れましたし、一緒に闘っている同志の存在も支えでした。
私は、「大丈夫だよ」という言葉ってすごく怖いと思っています。
同じような悩みを持った人が言うのと、同じような悩みを持っていない人が言うので全然受け取られ方が違います。
私にとって同じような悩みはがんに限らず、違う病気も当てはまります。
結婚したくてもずっと結婚できない女性に対して、結婚して幸せそうな人が「大丈夫だよ」と言っても「あなたに何がわかるの?」と感じてしまうかもしれないですよね。
私がすごく辛かった体験は、乳がん手術のために、休職理由を記した診断書を会社に出したときのことです。
女性の職員さんに「もういいんじゃない?みかさんはご主人もいないし、その年齢なんだからおっぱいなくたって別にいいでしょう?」って心無い言葉を言われたのがすごくショックでした。
別におっぱいは、男性のためにあるものじゃないですけど、そういう心無い言葉をかけてくる人も世の中にはいます。
でも誰にも、どこにもぶつけられないので、腹が立ってブログに書きました。
その心無い言葉をかけてきた人が同じ病気だったら、言われても「そうだよね」って話せるのかもしれないですけど、そうじゃなければ「あんたはいいよね。おっぱいが2つあるでしょ?」と感じてしまいます。
乳がんを打ち明けてくれた先輩の存在が救いだった
同じ辛さを抱えている人からの言葉は、心の支えとしてすごく大きいんじゃないかと思います。
同じ職場で12個上の先輩が私を呼んで、「なんだろう?」と思ったら、「実はね。私も乳がんなのよ。会社にも誰にも言っていない。前の職場で乳がんになって乳房を切って、今の職場に来たから、この職場では誰も知らないの」と言われました。
私が乳がんになって初めて、先輩が自分も乳がんであることを言ってきてくれました。
先輩は全摘ではなくて一部温存なので胸はありますが、「全摘で胸がないのは辛いと思うけど、私も乳がんだから。でも、ここの職場ではあなたにしか言っていない」と言ってくれました。
それ以降、通りすがりに「おはようございます」と挨拶を交わしているだけでも、先輩がいることだけで救われている気分になりました。
お風呂介助が終わったときはみんな「お疲れ様」と言いますけど、そのときも、私がハートを先輩に開いているので勝手に助けてもらっている気分になりました。
「こういうお店でこういうブラジャーを使っているのよ」とか「こういうアイテムがいいわよ」とか、具体的なアドバイスもくれたので、先輩が居てくれたことはすごく支えでした。
不思議なことに、先輩の田舎と母の田舎が歩いてすぐの距離だったのも縁だと思っています。
ブログを通じて出会った方とは何回か直接会っていますが、直接会って言葉に出せると全然違うんですよね。
ブログを見ているだけの人もいますけど、お互いに思いを知ることで「あ、この人はこういう風に苦しい思いをしているんだ。私も頑張ろう」とお互いに鼓舞されることがあると思います。
悩んでいる女性と病院の数が合っていない現実がある
再建手術の後退院する日に、先生から「悪いんだけど今日、患者会の会合に出てくれる?」と言われました。
「えっ?私パジャマなのに?」と驚いたら「それがいいんだよ」と言われて、出ることになりました。
会合には20~30人来ていたんですけど、その中には再建手術をしたくても一歩が踏み出せない人もいました。
南大和病院は再建手術でも結構有名なので、10年ぐらい悩んでいて「どうしていいか分からない」っていう人や、大阪の方から来ている方もいましたね。
ちなみに自家組織再建手術をやれる病院が少ないのは、自己再建は病気じゃないから、再建手術は命を救うものではないという考えの病院が多いからだそうです。
他にも手術室を12~13時間開けなきゃいけないという問題もあって、肺がんの手術なら1日に3回できますけど、再建手術だと1人しかできません。
「再建手術をしていたら救える命も救えないだろう」と考える病院がけっこうあるので、病院数が限られます。
愛知と神奈川だと、私が行った病院を含めて数件しかありません。
本当はもっと乳がんで悩んでいる女性の多くを輝かせたいですけど、12~13時間手術室を開けてくれる病院が少ないという現実があります。
名医との巡り合わせ、タイミングに恵まれた乳がんだった
手術してくれた茅野先生と私は元々面識がありましたが、じょくそうの先生だと思っていたので「え?おっぱい作るの?」と驚きました。
私は茅野先生が名医だということも知らなかったです。
私の周りの人は「なにがあるかわからないから、24時間は枕元に電話を置いておいてくださいね」と先生に言われたそうです。
そのことも、術後3日間動いてはいけないことも知らないで、私は再建手術を「やる」と決めました。
全身麻酔なので手術の様子はわからないですけど、ベッドがいろんな角度に向くようになっていて体を逆さにしたり宙づり状態にしたりして、乳房が自然の動きをするか確認すると聞いています。
ちなみに、下乳の曲がり角を再現するのが一番難しいらしいです。
そうやって再建した乳房はアート、芸術だし、先生は職人ですよね。
実際手術したときは2~3週間入院しなきゃいけないと先生に言われたので、息子は毎日自転車でお見舞いに来ていました。
それくらい家と病院の距離が近かったので手術に踏み切れたと思っています。
とんでもなく遠いところだったら手術に行かなかったかもしれません。
私の乳がんは、人との巡り合わせやタイミングが本当に良かった、本当にラッキーだったと思っています。