今回は、乳がんの告知を受けたみかさんが、自分の生き方を考えたエピソードについて紹介します。

乳がん確定後、医師から「携帯で乳がんについて検索してはいけない」と言われる

診断を受けて、「乳がんだね」と言われて、その2週間後に病理検査がありました。
そこで「どんな状態の乳がんなのか」「転移しやすいのか、暴れるのか」「リンパに転移していないかどうか」など、がんにもいろいろな種類があることを知りました。

全ての結果は2週間後に出るので、自分のがんが一体どんな容態なのか、気になりました。

そして病理検査の結果を聞きに行ったとき、「乳がんですね」と言われたんです。
病室では気丈にふるまっていたので、私は一人の先生に「乳房を切ります。全然切れます。」と言ったんです。

そうすると、先生は「自分のおっぱいなんだから、切るということを今ここで簡単に決めない方がいい。それに、どんな乳がんなのかも分からないんだから、自分がこれからどうやって生きていきたいかを考えた方がいい」と言ったんです。

さらに「詳しい検査内容が出るまで、2週間猶予があるけれど、その間に携帯を開いちゃダメ。乳がんのことは調べないで。携帯とかで調べると悪いことしか書いてない上に、真実は書いてない。とくにへこんでいる時はネットの嘘を信じちゃうから、絶対見ちゃダメ」とも言われました。

検査結果が出るまで、乳がんのことは検索せず、誰にも相談しないで過ごす

先生から「乳がんのことは調べるな」と言われたので、私は病理検査の結果を聞くまで、乳がんについて一切調べませんでした。

先生も「自分が今どういう状況なのかも分かっていないのに、悪い方にばっかり想像しちゃうでしょう?だから調べないで」とか「自分がちょっと悪い状況だと思ったら、どうやって生きていきたいのかを考えなさい」と言ってくれました。

また、先生は「誰かに相談してもいいけれど、相談は人相手にするものだから、つい相手もアドバイスとかしてきて、そのせいでどんどん気持ちが沈んでいっちゃうからダメ」とも言っていました。

だから、私は誰にも乳がんのことを相談しなかったです

先生に「自分の気持ちと向き合って答えを出すこと」の大切さを教わる

私は「乳がんだから、おっぱいを切るかもしれない」とか、そういった不安を誰にも何も相談しませんでした。

とにかく「子供たちのために絶対生きる!」という気持ちがすごく強かったです。

先生から「2週間後に結果を聞きに来る時は一人で来て」と言われたので、「なんでですか?」と聞きました。

すると「誰か一緒にいると、自分の決断が揺れてしまう。がん治療は、自分の気持ちと向き合って、自分が決めた通りにした方がいいから」と説明されました。

さらに「その代わり、みかさんが出した答えに、ドクターも看護師もみんな寄り添ってやっていくからね。主治医は僕だけどチームでやっていくから、自分を固めてきてください」みたいなことも言われました。

検査結果を聞き、乳房全摘術を決意

2週間経ち、検査結果を聞きに行きました。

先生からは、「病理検査の結果が出たけれど、やっぱり悪性で、乳がんだから治療しないといけない」と言われました。

治療方針については、私のがんは乳輪と乳頭の下にあって、できたところがちょっと悪かったから、乳房全摘術を勧められました。

先生は「もし全摘したくない、乳房温存術をしたいというのであれば、温存の方法を一生懸命考える」と伝えた上で、「でも、あなたが絶対に生きたいと思う気持ちがすごく強いのが分かるから、全摘がおすすめ。ただ、今すぐに決めなくてもいい」と言ってくれました。

それでも、私の「乳房を全摘する」という決意は揺るぎませんでした

決意は揺るがなかったものの、術後になって全摘の辛さを痛感

ただ、一つだけ後悔していることがあります。乳輪・乳頭の全摘ってやっぱり辛いんですよね。
今思うと「乳輪・乳頭だけでも残しておけばよかったな」って思うんですよ。

それでも、乳輪・乳頭を残しておけなかった理由は、腫瘍ができたのが乳輪・乳頭の真下だったからなんです。

私は担当の先生に対して「すごくかっこいいな」と思った点があります。

それは、先生は何件も乳がんの手術をしているのに、私に対して「手術で乳輪・乳頭を残す自信がない。乳輪・乳頭を残すと転移や再発のリスクもある。だから、乳輪・乳頭を残した状態でがんを取りきる自信がない。」とはっきり伝え、全摘を勧めると言ってくれたことです。

このやりとりで、先生がちゃんと私に向き合ってくれていることが伝わったし、医師の立場から「自信がない」とはっきり言った上で、「命を助けるために、乳輪・乳頭もとりたい」と話してくれたときに、「この先生なら、命を救ってくれる」と思いました。

ただ、今思えば、やっぱり乳輪・乳頭は残して欲しかったですね。
でも、「残してほしかった」ということは、術後に乳輪・乳頭が無くなってから気付くんですよ。

乳輪や乳頭なんて、生まれてからずっと体の一部位として、当たり前にあるじゃないですか。
それが手術で突然無くなると、「あ、大切だったんだ」みたいな感情になります。

乳がんの精神的ダメージが来るのは大体術後で、その理由は、術後の部位をいつも見られる場所だから」と先生は言っていました。

たとえば、子宮がんの場合は、子宮を取っちゃったとしても、自分では見ないじゃないですか。
たしかに術後で、体調は悪いかもしれないけれど、子宮は見えない。でも、乳がんだけは常に乳房が無い状態を自分で見られるんですよね。

着替えや入浴時に鏡で毎回見るから、女性としての自信もなくなっちゃいます

そういう術後の状態を見るのが嫌で、「乳がんの治療をしたくない」という人も多いと思いますね。
だから、先生との術前面談のときは、「全摘します」と言ったけれど、術後にすべてなくなっちゃったときは、本当に辛かったです。

揺らいでもいい。自分らしく生きるために、納得のいく選択を

今は、乳がんの予防措置で全摘しちゃうということもあるみたいですが、やっぱり本物の乳輪・乳頭はいいですよね。

闘病するのも、術後に生きていくのも自分なので、治療しても、自分らしく生きられないんだったら考え物ですよ。

今、私にはおっぱいがあるから、自信を持って歩けるけど、おっぱいがないことで、何十年も暗く生きるのなら、余命数年でいきいきと生きられる方がいいのかなって思ってしまいます。

結局は、がんと診断された人が、「どう生きたいか」だと思うんですよ。

全摘した私の後悔も、今生きているから「取らなければ良かった」なんて思えますけど、がん発覚当時の私は、命を優先していたから「取りたかった」んですよ。

その決断が本当に良かったのか、間違いだったのかどうかは分からないけれど、もし自分が余命3年とか、乳がんが再発して今度こそ生きられないってなったら、最後には「私の人生、これで良かったんだ」と思える自信はすごくあります。

だから、「いつでも自分が良いと思う、納得のいく選択」を、乳がんと戦う人にはしてほしいです。

私は、乳がんを患ったことがいい機会になったとすごく思っているので、いろいろ考える中で、決意が揺らいでもいいと思っています。

もし、今私が同じように乳がんになって「おっぱい全摘できますか?」と聞かれたら、できない気がします。

乳輪・乳頭を切った時の辛さが今でもすごく残っているので、そういう選択ができるかは、その状況になってみないと正直分かりません。

自分の置かれた状況によって、違う選択をするかもしれないし、「生きたい!」という気持ちがあれば、また全摘するだろうなとは思います。

【生きているからこそ、また希望が出てくる】 

「生きているからこそ、いろんな出会いもあるし、死んだら終わり」ってよく言いますよね。

難しいけれど、「そのときを精一杯生きる」というか、「精一杯やる」というか…そのときにした選択が良かったのか、間違いだったのかは分からないけれど、乳輪・乳頭を切っていなかったら、多分今ここで出会ってなかったですよね。

だから、そのときの自分の選択として「ああ、乳輪・乳頭切っちゃった」って思いはあるけど、間違ったことはしていないです。

私はやっぱり生きたかったんですよ。

私が先生に「息子のために生きたいんです」って言ったとき、先生は「自分のためには生きたくないの?」と聞いてきて、「自分のためには、山に登りたいんです」って答えました。

そうしたら、先生が「山に登りたいんだったら、一番早い治療法で、スパッと乳輪・乳頭を切って、山に登りましょう」みたいなことを言ったんです。

やっぱり先生って偉大ですよね。

自分の意思で生き方を決められたことが、本当によかった

父親のがんのときは、当事者である父に、がんであることを知らせなかったことに対して、すごく可哀そうなことをしたなって思うんです。

もし、父が「自分ががんである」と知っていたら、もっと自分らしく生きていけたんじゃないかなって…当時は父が生きているのにも関わらず、家族が生かしている感じになっていましたから。

でも、今は自分で生きるか生きないかを選択できるじゃないですか。
先生も「決めるのは自分だよ」と言いますし、昔に比べれば、苦しかったり悲しかったりすることも多いけれど、自分が生きることを自分で決めることができます。

父親のがんのときは、主治医の先生に「お父さんはがんだけど、お父さんにがんだと言うか言わないかは、家族で決めてね」みたいなことを言われていました。

それで母が、「お父さんは気が弱いから、がんのことを知ったら自殺しちゃうかもしれないからやめよう」って言って、本人には言わないと決まったんです。

でも、がんだと知らなかったから、父は最後の最後まで「自分は治るんだ」と思って生きていたのを見て、「本人が知らないのって、やっぱり違うんじゃないかな」って感じました。

自分が「生きたい」と思って生きること、「あとこれだけしか生きられないから、精一杯頑張ろう」って思って生きることと、真実を知らずに治ることを期待して生きることは、やっぱり違うのかなって思います。

私は、性格的に自分で決めたことを、旦那に事後報告するタイプなので、今回の乳がんの件でも、先生ががんのことや今後のアドバイスを、ちゃんと話してくれて、全部自分で決められたのがすごく良かったです。

私の「自分で生き方を決めたい」という気持ちを、先生は見抜いてくれて「一緒に治そうね」と寄り添ってくれました。

私を診てくれた先生のうち、3人は男性でしたが、皆さんかなり女性の気持ちを分かってくれて、すごいと思います。

参考動画