今回は、みかさんが自分のがんを家族に伝えたときのエピソードについて紹介します。
家族にがんを伝えたときに言われた、忘れられない言葉
家に入ったときからは、ちゃんと記憶があります。
私の検査結果が出る日、中2の息子が「お母さんは大丈夫だと思うよ」といって、中学校の近くある神社にお参りに行ってくれたんです。
「お母さんががんじゃないようにお願いしたから、がんじゃないと思う。大丈夫だよ。」って言って私を送り出してくれました。
その息子の気持ちがあるから、息子に対して「ごめんね」と申し訳ない気分になっちゃって…帰って「お母さん、がんだった」って言いたくないんです。
家に帰った時は母だけがいて、「どうだった?」と聞かれました。
私が「がんだった」と伝えたら、母は泣いてしまったんです。
その時に言われた母からの言葉があって、今でもすごく覚えているんです。
当時の私は、まだ40代だったこともあり、母から「お母さんはもうこんな歳だから、お母さんのおっぱいとお前のおっぱいを変えられたら良かったね」って言われました。
さらにつづけて、「お母さんはおっぱいなんかいらないけど、お前はまだ若いから、おっぱい失くすのは辛いじゃん」と言ってくれたんです。
そんな風に、温かい言葉をもらったことは一回もなかったから、その言葉はすごく覚えています。
その後、帰ってきた息子にも話をしたのですが、その時の息子の顔もすごく覚えています。
息子は私に対して「どうだった?」と聞きたそうな、でも心配そうな顔をして、帰ってきました。
息子にがんのことを伝えるべきか悩む
息子に対して私は、「言っていいのか、いけないのか、どうしよう』とすごく悩みました。
というのも、父親ががんになったとき、一番下の妹が中学生だったんですよ。
当時私は19歳だったから、母から父親のがんのことを聞いていたけれど、ちょうど受験と重なっていたこともあり、「妹二人にはまだ言わないで」と言われていました。
「妹たちに父親のがんのことを言っちゃうと、受験もできなくなっちゃうし、気持ちが乱れちゃうから内緒にしておいて」と母親に言われていたから、私は妹たちに絶対言わなかったんですよ。
その結果、父親のがんのことを妹たちに知らせないまま、父親は死んでいったんです。
過去の経験から、息子へのがん告白を決意
妹たちには、いまだに「お姉ちゃんだけ父親のがんを知っていたなんてずるい」って言われます。
他にも「お父さんががんだって知っていたから、しょっちゅう病院に行ってたんでしょ?私たちは知らなかったし、いつか治るって思っていたから、そんなに頻繁に病院に行かなかった。知っていたら、もっと病院に行っていたのに」とか、「いいよね。お姉ちゃんは。」みたいなことを言われます。
当時は「父親のがんについて、言わないことがいいことだ」と思っていたけれど、どんなに小さい子供でも、その子なりに現実を受け止めるから、息子には私のがんについて言った方がいいと思いました。
今思えば、妹たちに今でも文句を言われていなかったら、私は多分息子たちに自分のがんのことを言えなかったと思います。
「がんになったら死ぬ」「髪が抜けて痩せる」というイメージから抜け出せない
帰ってきた息子に「お母さんどうだった?」と言われたとき、「ごめん、お母さん、やっぱりがんだった」と言いました。
そうすると、息子は「死ぬの?」と聞いてきたので、私は「死なないよ。絶対死なない。」と答えました。
本当に、「次男が二十歳になるまでは絶対死にたくない」と思っていたので、自分の言葉で、自分の口から「絶対、死なない」と言うことで、「きっと大丈夫だ」という感覚を得たように思います。
やはり「がんですよ」と告知されたら、本当にいろんな気持ちが揺れ動きます。
私の母親も、私自身も、父親のがんの経験があるから、「がん=死ぬ」と思っていました。
「がん」と「死」が一括りになるというか、「がんになったら、死ぬ」みたいな感じで、「がんになったから、髪の毛も抜けるんだな」とか、そんなことばかり考えていましたね。
息子もテレビやドラマで、「人はがんで死んでしまう」というのを見ているし、私も「おじいちゃんはね、がんで死んじゃったんだよ」とか言っているので、「がん=死」というイメージが大きかったのだと思います。
私も、がんについては、父親のイメージしかありませんでした。
なので、「髪の毛が抜ける」「痩せる」「抗がん剤治療で気持ち悪くなる」といったイメージしか持っておらず、「私もそうなるんだろうな」と思っていました。