今回は、みかさん自身が乳がんだと告知された日のエピソードについて紹介します。
乳がんが確定、付き添いの友人は号泣
私は自分が「乳がんなんだ」と思って覚悟していたこともあって、全然緊張していませんでした。
自分が乳がんだと告知される前から「乳がん=おっぱいを切る」と思っていたこともあり、ここ2週間くらいは、自分で絆創膏を貼ったり、乳房をぺったんこにした状態をイメージトレーニングしたりしていました。
そして、検査結果を知らされる日、診察室に入ると先生から「お友達いる?」と聞かれて、「お友達も入って」と言われました。
私の後ろに友達がいて、私が椅子に座ると、先生は「悪性だった。つまり、乳がんです」と言いました。
私は「やっぱり?」と言って、友達は二人とも号泣していました。
告知後も泣くことなく、気丈にふるまっていた
当時の私は、なぜあんなに覚悟ができていたのか、いまだに分かりません。
でも、全然泣きもせず「へぇ、そう。」みたいなリアクションでした。
今の私の状況だったら、多分あそこまでの覚悟はできないんじゃないかと思います。
当時は離婚して、息子がまだ中学だったこともあり、「絶対に死ねない」っていう思いが強くありましたね。
あと、「乳がんに負けたくない」っていう気持ちもあって、「乳がんを告知されて、頭が真っ白になる」とかは全然なかったです。
ただ、今思うと、当時はものすごく強がっていましたね。
先生から「乳がんです」と言われたとき、大きい石がポーンって落ちてきた感じはあったものの、グッと踏ん張って「やらなきゃ!」と気を張っていました。
ウィッグや人工乳房を見て、乳がんに対するポジティブイメージがもてなくなる
先生との話が終わって病室から出ると、ソーシャルワーカーさんみたいな人が待っていました。
その方に「こっちに来て」と言われて部屋に入ったんですが、その瞬間に崩れましたね。
ソーシャルワーカーの方に呼ばれて部屋に入ったとき、全てが真っ暗になりました。
その部屋には、ウイッグ、人工乳房、乳がんに関する本などがすごくいっぱい置いてあって、写真集とかもありました。
それを見て「ああ、これから私はこうなるんだ」って思ったら、先生の話を聞いた時は、気丈で崩れなかった私も、さすがに崩れました。
もし、自分の周りに乳がんの人がいて、治療などの話を聞いていれば、「大丈夫なんだ」っていうちょっとした光みたいなものはあったのかもしれません。
ただ、私の場合は、病院で最初に通された部屋が、ウィッグとか人工乳房のある場所だったので、それを見て一気に「乳がん=闘病生活が辛い」という印象になってしまったんです。
だから、「大丈夫」とか「おっぱいがなくなっても平気なんだ」という乳がんに対するポジティブなイメージがもてなかったんです。
家族に自分の崩れた姿を見せないために、帰り道でどうにか気持ちを切り替える
私はソーシャルワーカーさんに「死ぬの?」って聞きました。
すると、ソーシャルワーカーさんは「まだ分からないからね」って言いました。
話を聞きながら、私も友達すごく泣いていたので、あまり記憶にないですが、他にも「病理検査をしても、色んながんの種類があるから、全部調べてからじゃないと分からない」ことや、「おっぱいを切った時のことを、今から考えておいた方がいい」みたいな感じのことも言われた気がします。
一通り話が終わったあとに、病室をどうやって出たのかも覚えてないですね。なんとか車を運転して帰りました。
帰りは友達も一緒だったこともあり、車を運転している最中に「どうにか気持ちを切り替えなきゃ」って思ったんです。
私の父親はがんで亡くなっているから、家族に心配はかけたくない気持ちもありましたし、なにより息子達や母に、自分の崩れた姿を見せるのが嫌だったんです。
なので、車を運転している最中に、なんとか気持ちを切り替えた気がします。